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メッセージ

犠牲と献身で守った仁川、世界との共存と繁栄を実現してまいります。

作成日
2024-03-11

第105周年三一節記念辞


"自由と平和、繁栄を成し遂げた仁川が、未来世代の誇りと自負です。"


尊敬する300万仁川市民の皆さま、700万在外同胞の皆さま。

本日はわれわれ歴史の痛い過去を胸に刻み、

祖国のために献身した先烈を記憶する意義深い日であります。

まず、祖国の自由と独立のために犠牲され、

献身いただいた殉国先烈と愛国の志士の方々に心より敬意を表します。

そして、独立有功者の方々とそのご家族に、心より感謝申し上げます。 


昌栄小学校から始まった自由と独立の叫び

三一節の今日、三・一独立運動が行われた歴史の現場で記念式典を開くことになり、

非常に感慨深い気持ちでございます。

105年前の1919年、仁川公立普通学校だった昌栄小学校3年に在学していた

キム・ミョンジンは、当時19歳でした。

仁川高等学校の前身である仁川公立商業学校の学生たちと共に、

日帝に立ち向かって同盟休学闘争を繰り広げ、

これは仁川地域初の三・一独立運動として歴史に記録されています。 


ここ昌栄小学校で始まった正義と平和、人道主義に向けた叫びは、

植民地支配下の民を一つにする統合の叫びとなり、

自由と独立の叫びは私たちが大韓民国の国民になるようにしてくれました。


三・一独立運動は、植民地支配の収奪から民族の暮らしを取り戻すために、

全国民が参加した運動です。

これによってわれわれは独立の動力を見つけ、

新たな飛躍を始めることができました。

改めまして、苦境を乗り越えて大韓民国を守り抜いた誇りの先祖の方々に、

心より感謝と尊敬を申し上げます。


職業的責任感を上回る、驚くべき献身と犠牲

愛する仁川市民の皆さま、在外同胞の皆さま。 

100年以上の長い歳月が経ちましたが、

国難に共に立ち向かうわれわれ国民の献身と底力は変わりません。

われわれは新型コロナウイルス感染症の脅威にも屈せず、

全国民が一丸となって防疫の主体になり、大韓民国を守りました。

防疫要員と医療従事者は、職業的責任感を上回る驚くべき献身と犠牲を見せてくれました。


三・一独立運動が起きる直前の1918年には、「スペイン風邪」という新型感染症が発生し、

当時人口の44%に至る約742万人の患者が発生し、約14万人が命を落としました。

また、三・一独立運動が起きた翌年の1920年には、致命率が56%に上る「コレラ」によって、

1年で約1万3500人が命を落としました。 


日帝は植民地支配下にいたわれわれ国民を、感染症から守ってくれませんでした。

1920年当時、医者1人当たりの担当人口数は1万7000人に上るほど、劣悪な環境でした。

そうした厳しい医療現実の中でも、朝鮮の医学徒らは三・一独立運動に積極的に参加しました。


偉大な犠牲と高潔な献身で守った仁川

第1の幸福都市、世界超一流都市になりつつあります。

市民の皆さま、在外同胞の皆さま。

私たち自身が力を持ってこそ、個人と個人、民族と民族、

国家と国家間の平等な発展が可能になります。

私たちは独立の喜びを十分に満喫する間もなく戦争の苦痛を経験しましたが、

夢を失わずに驚くべき成果を成し遂げました。

その中でも仁川は、偉大な犠牲と高潔な献身で守り抜いた平和の地であり、

創造の都市に成長しました。

 

昨年、仁川市はたくさんのことを成し遂げました。

市民の生活環境を阻害する、乱立する政党の横断幕を撤去し、

古い行政体制の改編を進めて地域に合った発展基盤を作りました。

永宗洞、龍游洞、北島面などにお住まい方に対する永宗・仁川大橋の通行料無料化を達成し、

24年間足踏み状態だった空港鉄道と地下鉄9号線の直結事業も電撃的に合意に至らせました。


仁川は経済成長率1位を記録し、GRDP、地域内総生産104挑ウォンを超え、

釜山を抜いて韓国2位の経済都市になりました。

私は仁川を、韓国を牽引する最高のグローバル未来都市にしてまいります。

仁川の夢が、韓国の未来になります。


今年1月末、仁川市の住民登録人口が300万人を超えました。

300万市民、100挑経済時代、そして第2の経済都市。

これが他ならぬ仁川の現住所であります。

仁川市が向かうべき方向は、これらの指数を超えて、

これから「第1の幸福都市」をつくることです。


仁川市は「1億+アイドリム」で少子化対策を先導しており、仁川型行政体制の改編と、

済物浦ルネサンスプロジェクトによって世界超一流都市になりつつあります。

仁川は既に、韓国の他の都市との競争から脱し、世界都市との競争に一歩近づきました。


仁川にはバイオや半導体といった精密先端産業が続々と開業しており、

在外同胞庁の誘致によって、世界グローバル都市に行く拠点でありながら、

世界韓人ビジネスネットワークの中心都市になりました。

仁川はこれから、世界との共存と新たな繁栄に向けて連帯と協力を実現してまいります。


アジアを超えて全世界の平和守護の象徴に

市民の皆さま、在外同胞の皆さま。 

本日は、われわれの歴史の中で最も劇的な瞬間を記憶する日です。

三・一独立運動の精神は、国間の関係を正し、

東アジアの平和と世界平和を実現するための非暴力平和運動でした。

仁川は、「人類平和守護」の歴史を持つ都市です。

全世界の若者が自由と平和を守るために、

ここ仁川で血を流し、命を捧げました。 


私は昨年、第73周年仁川上陸作戦記念式典で、仁川を世界平和の都市と宣言しました。

仁川は独立を勝ち取り、戦争に打ち勝った平和と繁栄を成し遂げた都市として、

東アジアの平和、そしてアジアを超えて全世界の平和守護の象徴都市になります。


未来志向の発展に力を注がなければ。

仁川、未来世代に誇りと自負になることを希望

愛する市民の皆さま、在外同胞の皆さま。

過去の過ちから教訓を得ることは決して恥ずかしいことではなく、

むしろ国際社会から尊重されることです。

しかし、過去にばかり捕らわれているわけにはいきません。

われわれが乗り越えるべき障害は、過去に捕らわれることです。

過去の問題は過去の問題として解決しながら、

未来志向の発展に力を注がなければなりません。


独立運動の精神を受け継いで自由と平和、繁栄を成し遂げている仁川が、

未来世代にとって大きな誇りと自負になることを希望しております。

ありがとうございました。


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