- 2019年A、B区域(21万㎡)部分返還以後、D区域23万㎡返還 -
- 市民公論化を経て来年マスタープラン樹立、第2医療院、植物園造成などを計画-
1939年日本による植民地時代、造兵廠から独立以後、在韓米軍基地として使われた仁川キャンプマーケットが、完全に仁川市民のもとへと戻ることとなった。
劉正福市長は12月20日、市庁で記者会見を開き、富平米軍基地(以下キャンプマーケット)D区域(23万㎡)が返還(在韓米軍→国防部)され、キャンプマーケット敷地全体44万㎡がすべて仁川市民のもとへと戻ることとなったと明らかにした。
< キャンプマーケット現況図>
<キャンプマーケット全景>
政府は同日、キャンプマーケットD区域の返還を発表した。キャンプマーケットは2002年韓米連合土地管理計画(Land Partnership Plan)により移転計画が確定したが、2019年12月にA、B区域(21万㎡)の部分返還以降、4年ぶりに残余敷地であるD区域の返還がなされたのだ。
区 分 | 変換供与区域(44万㎡) | 周辺地域 (富栄公園など16万㎡) |
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A区域 | B区域 | D区域 |
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面積 | 109,961㎡ | 100,804㎡ | 229,235㎡ | 164,938 |
返還(米軍→国防部) | 19.12.11 | ‘23.12.20. | - |
汚染浄化(国防部) | 20.6.~23.12. | 20.6.~23.12. | (返還後) | - |
計画 | 仁川第2医療院 消防署、道路 | 公園 | 公園、道路 | 公園など |
劉正福仁川市長は「84年という短くない歳月が流れてやっと仁川の懐に完全に戻った」とし「300万仁川市民を代表してキャンプマーケット敷地返還を心より歓迎する」と述べた。
続いて「キャンプマーケット事業は完璧な汚染浄化と市民の意見を反映するという原則を持って、交通、歩行、緑地軸を拡張・連係させ市民と公園を強く連結させ、キャンプマーケットならではの価値を盛り込んだ複合的空間活用を通じて仁川の名所にする」と語った。
仁川市は2030年を目標に市民の開かれた公園として造成し、富平の都市空間再編をリードすることになるだろう。
▲(公園)第3補給団~キャンプマーケット~富平公園をつなぐ110万㎡の緑地ネットワークの構築、生態·歴史·文化が調和した仁川拠点公園として造成
*市民公論化反映マスタープラン樹立('24上半期)、国際設計公募('25.)、浄化完了敷地から段階別工事推進('26.:B区域から着工、'30.:造成完了を目標)
(道路) 断絶された東西交通網を解消するためにジャンゴゲ道路(660m)早期開通
* '24.2.着工、竣工は'26.→'25.へ1年短縮
- ▲(その他)仁川第2医療院、富平消防署を建設し、周辺に公園·緑地
(1万㎡)追加造成、公園内の仁川最大規模の植物園を造成
一方、仁川市は返還が遅れた部分を克服し、キャンプマーケットを市民の思いが込められた公園として造成するため、市民との疎通を通じたマスタープランを樹立し、アーカイブ構築、施設調査、体験·教育プログラムなどを運営している。