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ウェブトゥーン 仁川

[第5話] 歴史が変わってしまうかも

作成日
2024-07-03 10:00

歴史が変わってしまうかも

あれ?お母さんだ。

もしもし。今チャイナタウンでバスに乗ったところ。

…ええっ??

ス…ストップ!

ほらほら降りて、降りて!急にどうしたの?

家に帰るところだったじゃない

ここには魔物の卵を探しに来たんじゃないか!

そうだった!すっかり忘れてた!!

あったあった!

忘れて家に帰っちゃうところだった。ジェミン!

お母さんの電話のおかげで助かったよ!ははは、そうだね。

電話のおかげで助かった…といえば、

授業でこんな話を聞いたんだ。

金九先生が若かったころ、鵄河浦事件*で仁川港裁判所で死刑を言い渡されたんだけどそこにソウルから電話がかかって来たんだ。

*1896年、金九が黄海道鵄河浦で「国母の仇を討つために」日本人を殺害した事件

電話をかけた人は他でもない高宗。高宗の減刑指示命令で、

金九先生は危うく死刑を免れることができたんだ。

そのとき高宗がかけた電話が韓国初の市外電話だったけど、仁川に電話が開通してからたった3日後のことだったんだって。

つまり、仁川の市外電話開通が金九先生の命を救ったんだよ。

わあ…すごくドラマチック!

はい、金九の白凡逸志に載っている有名な逸話ですね。え?別に質問してないけど…。

金九の死刑執行は1896年、ソウル-仁川間の市外電話開通は2年後の1898年で、専門家たちは電話ではなく電報による連絡だったと推測しています。

また、金九のこうした思い違いについては、当時、彼が死刑執行によるプレッシャーに苛まれていたことを考える必要があると言われえています。

あ、そうだったんだ…。

でもまあ、仁川港裁判所で金九先生が一命を取り留めたのは本当のことだしね。うんうん。

…ところで…。?

「金九」って誰?あ…(汗)「高宗」も…。

白凡・金九は韓国の独立運動の中心人物でうんぬんかんぬん…。へえ~!

歴史が変わってしまうかもしれない大事件だったんだね。

うんうん。そうかもね。

ところで、以前から知りたかったことなんだけど…。

君が探してるその魔物の卵…、それが全部見つからなかった場合、どうなるの?

…そうなったらものすごく悲惨な未来になっちゃう。

私の口では言えないほど。そんなの、絶対にダメ!

待って、ということは…もし僕たちが卵を全部見つけられなかったら

仁川の未来が…仁川の歴史が変わるかもしれないってこと?

ううん、

仁川だけじゃなくて、この世界の歴史が変わるかもしれない。

1895年明成皇后が日本の浪人達に殺害された乙未事変によって朝鮮人の反日感情が高まっていた中、1896年に黄海道安岳郡鵄河浦のとある酒幕で、20歳の青年・金昌洙が「国母の仇を討つ」という名分で日本人を殺害しました。これがいわゆる「鴟河浦事件」であり、

金昌洙とは、金九の青年時代の名前です。金九は外国人に関連する犯罪を担当していた当時の仁川港裁判所の監獄に収監されました。




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